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子供に振るわれる体罰について2013/03/06

現在、教育現場やクラブ活動において体罰が問題視され、クラブ活動における多くの暴力事例の報告が相次いでいます。
これまで体罰の名の下に有耶無耶にされて来た、大人から子供に対して行われている暴力(教育現場に関わらず)ですが、これは冷静に考えると、通常社会で行われた場合は傷害致傷の犯罪に値します。

・ある意味、暴力を用いた躾は、行なっても良い児童(程度の問題はありますが)とそうではない児童に分けられるのではないかと思っています。
暴力を加えられても、すぐに忘れてしまい同じような事を繰り返すような、ちょっと思考能力が低いような児童についてはそれ程問題ではないのではないでしょうか。
むしろ問題なのは、振るわれた暴力についてなぜ行われたのか、自らの行動は暴力を受けるだけの事なのか、これまでや他の児童に照らしあわせて不当な扱いではないのか、更に暴力を受けた理由を誤って解釈した場合、その事柄を行うと暴力を振るわれるという誤った認識を持ってしまう等、熟慮を重ねる児童については、極めて危険な要素を含んでいると思います(「行きたくない」「やりたくない」と言って殴られ、十分な説明がなされなかった場合、そう言えば殴られると誤った認識を持ってしまい、その後長きに渡って不要な我慢を強いる事となります)。
そして現在、暴力に対し熟慮する児童は、昔よりも増えて来ているのではないでしょうか。

・躾において暴力が必要であるとの発言が繰り返される背景には、親や教師自身が暴力を受けて育てられており、その結果現在の「正しい」(と思いたい)自分があり、暴力を全く受けずに育てられた事例が身近に存在しない事から、躾に暴力が不要と認識するためには、自らの育成が誤りであった事を認める事に等しく、受け入れ難い意識が根底にあると考えられます。更に始末が悪いのは既に子供を持つ親で、子供をある程度の大きさまで暴力を用いて育てた経験がある人達です。この方々は、口々にうちの子供はちゃんと育てましたと言い切ります。対話もちゃんとしましたし、子供も正しく理解していましたと言い切ります。なにを根拠にこんな事が言えるのでしょうか?まだ結果はでていないと思うのですが…
(ちなみに、私は精神疾患を患い、治療を受けるにあたり心理カウンセラーにも相談致しました。その結果、幼少期の育成段階における両親の対応に問題があり、それが現在に深く影響しているとの指摘を受けました。その内容を両親に確認した所、心当たりはあるようで、つい最近まで自らの子育ては正しいと信じていたようです。正に青天の霹靂と表現しても構わないと感じる程突然、辛い後悔の日々を送る事になってしまったようです)

・育成段階で、痛みを経験として感じておかないと、他人の痛みの解らない人間に育つ懸念が示される場合があります。痛みを経験する必要があるならば、安全に必要な苦痛を与える方法を研究し、その苦痛を与える事は専門機関に任せて経験させるべきで、親や教師がその場の気分や逆上にまかせて、不用意に与えるべできではないと考えます。
極論すれば、全ての症例を経験していなければ、医師は患者の痛みを理解できない事になってしまいます。

・家庭や教育現場を問わず、体罰という名にすげ替えられて来た暴力は、パワーハラスメントであり、子供に対する重大な人権侵害です。全面的に禁止し、全て傷害致傷として刑罰を加えるべきです。

※暴力を振るう大人に考えてみて頂きたい事
・将来自分達の行動が評価され、責任を取らされると思った事はありますか?
・将来立場が逆転し、同じ事をやられるかもしれないとの危機感を持った事はありますか?

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